1985-05-16 第102回国会 参議院 外務委員会 第11号
最後に、もとの台湾の軍人軍属に対する補償の問題、これは議会でたびたび取り上げられた問題ですけれども、私も実は戦争中、北ボルネオで台湾人の兵補の人たちと一緒に戦争をしたし、その後は捕虜虐待で戦犯になった台湾人兵補のディフェンディングオフィサーをした経験もあるので、特別の関心を私この問題に対して持っているわけですけれども、今度の予算に検討費として五百万円計上されておるわけですね。
最後に、もとの台湾の軍人軍属に対する補償の問題、これは議会でたびたび取り上げられた問題ですけれども、私も実は戦争中、北ボルネオで台湾人の兵補の人たちと一緒に戦争をしたし、その後は捕虜虐待で戦犯になった台湾人兵補のディフェンディングオフィサーをした経験もあるので、特別の関心を私この問題に対して持っているわけですけれども、今度の予算に検討費として五百万円計上されておるわけですね。
だから、そういう思想犯と言われる人たちが北ボルネオヘ行った事実は大臣も吉田さんも認めている。ただし、それは任意に行った、そして給与も与えていたのだ、こう言っているわけです。 この問題は私の方も今後調査しますし、ひとつ法務省の方もさらに調査をして、戦争犠牲者として補償すべきものは補償するということをぜひ考慮してもらいたいと思うのです。
閣議の決定を受けて、当時司法省に刑政局があったということですが、司法省刑政局から北ボルネオヘ島流し隊に先行して行くように命ぜられた。その資格は無給の軍属大佐待遇で、給料は司法省から受け取っていた。日本を出発したのは昭和十九年二月二十九日、うるう年でしかも二十九日ですから、よく記憶に残っている。
次に、慰霊巡拝でございますけれども、中国、フィリピン、北ボルネオ、東部ニューギニア、トラック・パラオ諸島の五地域でございまして、このうち北ボルネオについては既に実施済みでございます。 三番目に慰霊碑の建立てございますが、本年度は西太平洋地域、具体的にはパラオ諸島のペリリュー島を予定しております。
初めはフィリピンヘ行く予定だったが、フィリピンはどうも戦況がよろしくないということで、北ボルネオヘ行ったわけであります。同じ年の八月に第二次奉公団が約二十名ほどでフィリピン沖まで行きましたけれども、ここで撃沈されまして、生き残った者わずか数名がその後フィリピンから北ボルネオに行っておりますが、このように治安維持法の犠牲者を集団的に島流しにした。
そして集骨地が韓国の徳積諸島、ニューブリテン、ブーゲンビル、メレヨン諸島、北ボルネオ、硫黄島二回、サイパン、テニアン。四十六年が二千一万円。集骨地がギルバート、ソロモン、ガダルカナル、済州島、西イリアン、マーシャル諸島、サイパン、テニアン。四十七年が四千六百八十万円。ところがこの内訳は、三千三百四十四万円というのがフィリピンの慰霊塔建設費ですね。
フィリピン、マリアナ諸島、東部ニューギニア、北ボルネオ、ソロモン諸島、マーシャル諸島、ギルバート諸島、西イリアン等につきまして実施してまいりました。四十七年度におきましては、パラオ諸島、トラック諸島等の未実施の地域のほか、マリアナ諸島及び沖繩につきまして、遺骨収集を行なうということにいたしております。
昭和四十二年度以降特に努力を重ねておりまして、フィリピン、マリアナ諸島、東部ニューギニア、北ボルネオ等につきまして実施はすでにいたしてきたのでございます。 それから本年度あるいは今後につきましては、先ほど小柳先生の御質問に対しましてお答え申し上げたとおりでございます。
それから四十五年度におきましては、現在ニューブリテン、それからブーゲンビル島、北ボルネオ、ギルバート諸島、それから硫黄島の最終的な収集計画を考えております。四十六年度以降におきましては、 マーシャル諸島とか、西イリアン地区あるいはビルマ、インド、それから国交未回復の地域等を考えますが、国交未回復地域等につきましてはなかなかむずかしいのではなかろうか、こういうように推察しております。
それから、四十五年度以降計画しております地域につきましては、ニューブリテン、ブーゲンビル、北ボルネオ、ギルバート、硫黄島、これが本年度実施の予定でございまして、四十六年度以降は、いま申しましたマーシャル、西イリアン、ビルマ、インド等、これにつきまして外交ルートで許可を得次第計画を立てていきたい、かように考えております。
○武藤政府委員 遺骨収集の趨勢につきましては先生御説明があったとおりでございますが、四十二年度以降につきましてはフィリピン、マリアナ諸島、東部ニューギニア等につきまして実施したわけでございますが、四十五年度におきましてはニューブリテン、ブーゲンビル、北ボルネオ、それから硫黄島につきましては最終的にやりたい、かように考えております。
そうしますと、東南アジアのものは、インドネシア、マレーシア、タイ、フィリピン、ラオス、ブルネイ、北ボルネオ、合計で一般案件が二十出ているわけです。その中で、ラオスとフィリピンと北ボルネオは承諾額、実行額一〇〇%、実行率一〇〇%です。
それから、北ボルネオにおきましては、中国人の大量殺害事件といたしましては、ジェッセルトン事件というのがございまして、昭和十八年に中国人の抗日分子約五百名が暴動を起こしたという事件がございまして、日本軍はこれらの暴徒を鎮圧いたしまして、四百二十名を逮捕し、そのうち約三百二十名を軍法会議に送致いたしまして、三百二十名中約二百二十名は死刑、約百名は懲役に服した、こういうことになっております。
シンガポールは二千ですか、クアラ・ルンプールは九百九十、それから北ボルネオは死んだ者が三百二十。こっちではこれに対してどんなふうなことを言っておるのですか。
北ボルネオにおきましても、若干の同種の事件があったようでございまして、やはり軍によりまして約二百名の処刑が行なわれたというような事件がございます。
たとえば、これは私の身近な問題でございますけれども、北ボルネオか何かに二回くらい派遣をされて、そして昭和二十一年にマラリアで帰ってきましたが、その時分はああいう混乱した時代でございますから、子供も何人もあるので、つとめをしかけたのですが、からだが悪いためにつとめができなくて、そうしていろいろ医者にかかったりしている間に栄養失調と、そのうち肋膜も悪かったりいろいろ病気が併発いたしまして、最後には食道ガン
○畠山政府委員 現在の英連邦の海底ケーブルは、すでにできておりますものは香港、北ボルネオのジェッセルトン、シンガポール、この三点を結ぶ最近できました海底ケーブルだけでございます。そのほかにこの地域には現在の英連邦の海底ケーブルというのは、計画はございますけれども、布設されているものはございません。
私、ちょっと調べてみますと、昭和三十一年に西部ニューギニア、当時のオランダ領ですね、北ボルネオ、当時の英領、こういうところの遺骨の収集を実施したときに、いま問題の起こっているインドネシアの遺骨収集計画を申し出たけれども、できなかったのですね。その後三十九年にインドネシアの地域の遺骨収集団というのを派遣して、百四十柱ぐらいを収容しているんですね。
その実例もたくさんあるわけでございまして、セレベス海におきましてマグロ漁船が操業中、インドネシアの海軍から銃撃を受けて、一人は死に、三人は重傷、そして現在でも補償も何もされておらぬ、あるいはまた、昭和三十二年には台湾基隆港で、やはりあの旗を立てておりましたために入港を拒絶されたというような事件、あるいは四十年には北ボルネオにおきましてラワン材を積みに行って、これがやはり怪しまれて非常に苦しい立場におちいって
「口、一月下旬、英領北ボルネオにおいて、マレーシア連邦結成に反対する勢力の反乱とこれに対するインドネシヤ軍の策応の動きがあり、英国は急遽本国から約二千名の戦略陸軍を英極東軍に派遣してこれを未然に防止した。」もうほとんど同じである。
マラヤ、北ボルネオに対してそれぞれ一億六千九百万ドル、七千四百万ドルと大きく入超になっております。タイは日本に対して前述のような入超であり、マラヤ、シンガポールとインドネシアに対してはそれぞれ七千二百万ドル、二千六百万ドルと大きく出超でございます。
また、いまの北ボルネオ、サラワクの問題等で、冷戦とまで申しませんが、相対峙している不幸な状態があるのであります。われわれといたしましては、こういう不幸な状態を一日も早くなくして、そうして西太平洋諸国、あるいは太平洋を中心として、あるいはアジアの諸国も加えて、ひとつ地域的の団結強化に今後努めてまいりたいと考えております。
北ボルネオのサンダカンの水産事業に三千万円、それからインドネシアのニッケル鉱の開発に承諾額としては三億八千万円、ペナンの海外漁業に九千九百万円、タイのオイルシェールに二千二百万円、タイの、これは芝浦精糖かなんかでございますが、精糖事業に承諾額としては十億円、それからインドネシアのカリマンタンの森林開発に四億五千万円、そのほかに北スマトラの石油開発事業に承諾額としては十億円でございます。